アメリカ政治の「独裁化」騒動を冷静に見てみた話

〜二大政党制とトランプをめぐる"お約束劇場"の裏側〜

こんにちは。また始まりましたね、あの季節が。

Yahooニュースを開けば「トランプ再登場で民主主義の危機!」、Twitterを見れば「アメリカが独裁国家になる!」の大合唱。もうこのパターン、何回目でしょうか?

正直に言います。僕、この手の記事を読むたびに「また始まったよ...」って思っちゃうんですよね。

「トランプ=独裁の始まり」論って、もはや定型文じゃない?

まず冷静に考えてみましょうよ。

アメリカって、制度的に二大政党が4〜8年おきに交代する仕組みなんですよ。大統領は憲法で最長8年って決まってるし、議会選挙は2年ごと。中間選挙でねじれることもしょっちゅう。

つまり、常に「政治的メンテナンス」が前提の国なんです。

そんな国で「永遠の独裁が始まる!」って...いや、どうやって?って突っ込みたくなりませんか?

もちろん、トランプの言動に問題がないとは言いません。でも「独裁の始まり!」って警告、もはやリベラル系の常套句というか、お決まりの台詞になってる気がするんですよね。

実際、オバマの時は共和党が「社会主義の始まり!」って騒いでたし、ブッシュJr.の時は民主党が「戦争狂の独裁!」って言ってた。要するに、政権が変わるたびに相手陣営が「終わりの始まり論」を展開するのって、もうアメリカ政治の年中行事なんじゃないでしょうか。

関税論争で見えた「論理 vs 感情」の構図

で、今回特に面白かったのが関税の話。

トランプがよく言ってた「関税は輸出国(中国)が払う」発言。経済学的には完全に間違いで、実際は輸入業者や最終的には消費者が負担することになります。

これを受けてリベラル系メディアは大喜び。 「こんなの経済の基本中の基本でしょ!」 「日本の中学生でも知ってる!」 「国民を洗脳してる!」

まあ、事実としては正しいんですよ。でも現実の支持者の反応を見てると...

「別に正確じゃなくても、中国をやっつけてくれるならOK」 「エリートが上から目線で説教してくるのウザい」 「理屈よりも気持ちが大事」

つまり、リベラルが論理で攻めれば攻めるほど、支持者は逆に熱狂するという皮肉な構造が生まれちゃってるんです。

これって日本でも似たような現象ありませんか?政治家の失言を正論で批判すればするほど、なぜか支持率が上がったりする、あの現象。

「日本上げ」がセットになってる違和感

あと、この手の記事でよく見かけるのが:

  • 「日本なら子供でも知っている」
  • 「日本の方が政治レベルが高い」
  • 「アメリカ人は無知すぎる」

みたいなフレーズ。

これ、よく考えるとトランプ批判日本すごい論がごちゃ混ぜになってるんですよね。気づいたら「アメリカ政治分析」から「自国マンセー記事」にすり替わってる。

で、読者も「そうそう、日本の方が賢いよね」って気持ちよくなって、結果的にアクセス数が伸びる。これって実はダブルでPV稼ぎの手法なんじゃないかと。

でも冷静に考えてください。日本の政治って本当にそんなにレベル高いですか?失言、スキャンダル、派閥争い...アメリカと大差なくない?

SNS時代の「お約束劇場」

もう一つ気になるのが、SNSでの反応パターン。

トランプ関連のニュースが出ると:

  1. 「民主主義の危機だ!」派が大騒ぎ
  2. 「またマスコミの煽りか」派が反発
  3. 炎上→拡散→アクセス数増加

この流れ、もうテンプレート化してませんか?

みんな薄々気づいてると思うんです。でも「お約束の茶番」だと分かっていても、つい参加しちゃう。なぜなら感情的に気持ちいいから

「正義の味方として悪を批判する快感」とか「冷静な俺カッコいい感」とか、それぞれの立場で得られる感情的な報酬があるんですよね。

アメリカ政治の本質:エンタメとしてのキャッチコピー合戦

結局のところ、アメリカ政治って不安定なシーソーゲームなんですよ。

民主党が勝てば共和党が「リベラル独裁!」と騒ぎ、共和党が勝てば民主党が「ファシズム到来!」と叫ぶ。でも4〜8年経てば必ず政権交代が起きて、また同じことの繰り返し。

独裁?むしろ常に政治的不安定が前提の制度です。

そして実際の勝負は「関税を誰が払うか」みたいな政策の正確性より、「誰の心に響くスローガンを打てるか」で決まる。

  • 「Make America Great Again」
  • 「Yes We Can」
  • 「Build Back Better」

どれも事実の正確性よりキャッチーさ重視でしょ?

まとめ:茶番も含めて楽しもう

だからもう、「トランプ独裁の始まり!」系の記事は、政治分析というより季節の風物詩として読むのが正解なんじゃないでしょうか。

桜の季節に「今年の桜は格別ですね」って言うのと同じレベルのお約束として。

もちろん、政治に無関心でいいとは言いません。でも過度に煽られて感情的になるより、「ああ、またこの季節が来たな」くらいの適度な距離感で見てる方が、結果的に冷静な判断ができるんじゃないかと思うんです。

アメリカ政治は事実より感情、論理よりキャッチコピー。そしてメディアもそれに乗っかってエンタメ化してる。

だったら僕らも、真面目に憤慨するより「今回はどんなネタを仕込んでくるかな?」って楽しんじゃった方が、精神衛生上もいいんじゃないでしょうか。

どうせ4年後には、また全然違うことで騒いでるんですから。


※この記事は個人の見解であり、特定の政党や政治家を支持・批判するものではありません。アメリカ政治の「構造的な面白さ」について考察したものです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です